REVIEWS



ジェームス カーチス展 ―シエラ「縛」シリーズ―
2009年 9月19日〜10月4日

深夜のLA空港。ラマダインで一泊して、翌朝LAからフレスノへ。空港から乗り合いタクシーで、大学のフォーリンステューデントアドバイザーのところへかろうじてたどり着く。1978年秋。私はカリフォルニア州のサンウォーキンバレ−中央部に位置するフレスノ州立大学に入学した。英語も未だよく分からないので、最初の学期は日本で経験のあるシルクスクリーンのクラスを取ることにした。
アートホームイコノミックのビルの2階にある版画教室(プリントショップ)に行くと、6フィート以上もあるひょろっとした鉛筆のような男が一人、体を折りまげ版を舐めるようにスクイージを滑らせていた。そのころの私には生徒と教授の区別もつかなかった。彼は、口元に髭を蓄えていたので、なおさらだった。後で分かったのだが、その男が後々世話になるジェームス カーティスである。刷り上った作品を、慎重に乾燥用のラックに収めていた。その作品が私の見た初めてのアメリカ人生徒の作品であった。装飾的で細かく必要以上に細部にこだわっていた。そのとき正直「アメリカ人も器用なんだ」とあぶない発想をしていた。それから暫くして、ジムとの親交が始まりアメリカ生活やアートについて教わった。卒業後、彼はオレゴンのアッシュランドに引越し、以後今日までオレゴンに居を定めている。その後、写真家として美術館やギャラリーで作品発表を続けているのを時折、電話やメールで知った。
ジムはよくオレゴンの山々を歩く。ネイティブアメリカンのロックペインティングなどを見て歩いていたのを聞いたことがある。今回は、シエラネバダ山脈で遭遇した岩塊にレンズを向けた。彼の細部にこだわる性格は30センチ四方の範囲の岩肌をくまなく写し出す。風雨に侵食されたり、何万年も前に氷河によって削り取らたりして形成された岩肌の風景に執拗に迫る。そこに、亀裂や侵食により作り出された点や線からなる個別の形体から、より大きな全体的な枠組みによって創出される形体を見出している。それが「縛」である。
あなたはこの「岩肌」に何を見るのだろうか。彼の言葉、“Each photograph represents a bundle of information to be defined by the viewer, welcoming a gestalt experience.”(「それぞれの写真の表情には、見る者によってさまざまに想像させるものがある。ようこそ、ゲシュタルトの世界へ」) を体験していただきたい。

コンテンポラリー アート ギャラリー Zone  代表 中谷 徹